BACK ♦♦紅葉の東福寺と京都の世界遺産を訪ねて♦♦
 12月6日(火)晴れ
友人と京都の想い出を訪ねる2泊3日の旅は朝9時33分発の「ひかり号」に乗車、リックから取り出した「御朱印帳」から始まった。彼との京都・奈良の寺廻りは、古く1979年の冬の1月、仁和寺から始まった。その後約10年間、毎年のように京都・奈良への旅が続き、延べ21日間、京都・奈良を訪ねたことになる。今回の京都の旅は、秋の紅葉で有名な東福寺からとなった。
境内に入り、仏殿(本殿)から開山堂(常楽庵)に通じる通天橋の上にくると、団体客が多く、廊下では人の動きが取れない程の混雑である。広い境内では日当たりの関係だろうか、木々の根元にはあちこちに葉が落ち、重く折り重なっている場所があり、全体からみれば紅葉の最盛期は過ぎてしまったようである。

私たちはゆっくりと時間をかけて境内を廻り、紅葉の観賞が終わると、方丈南庭「八相之庭」に入った。ここには団体客は少なく静かな別世界、西の陽射しが庭の石にあたって白い砂に薄い影を落としていた。しばし廊下に座って石庭を眺めていると、時の立つのを忘れてしまった。

次に訪れたのは京都駅からしばらく歩く、真言宗の総本山の東寺(世界遺産)に着いた。
東寺は正しくは教王護国寺といい、平安建都の際、都の南玄関、羅城門の東に作られた。後に空海が賜り、密教の根本道場(こんぽんどうじょう)とし、今に至っている。

東寺は京都の世界遺産17建物の一つで、1644年に再建され現存する日本最大の五重塔である。これらの観光が終わってホテルに到着したのは夕方の5時頃であったろうか。
補足説明:
1)「御朱印帳」
とは
起源には諸説があるが、元々は寺社に写経を納めた際の受付印であったとする説が有力である。そのため、朱印を「納経印」と呼ぶこともある。現在でも納経しないと朱印がもらえない寺院があるが、多くの寺は少額の金銭(現在は300円)を納めると朱印がもらえるようになっている。「朱印帳」は墨で文字は書くのが一般的である。
2)東福寺:
寺の創建は鎌倉時代と古く、仏殿には高さ15メートルの大仏像を安置、1255年には都最大の伽藍を完成させたが、鎌倉末期には相次ぐ火災で大部分を焼失し、1347年、前関白一條経道により仏殿が再建され京都五山の一つにふさわしい禅宗寺院の威容を取り戻した。
その後は足利、豊臣、徳川家によって保護修理が加えられ、兵火を逃れて中世以来の常塔伽藍を継承。惜しくも明治14年、方丈、仏殿、法堂あんどを焼失、その後再建となる。この方丈庭園は昭和14年に重森三玲によって作られた「八相の庭」、近代庭園の名作と云われている。

3)京都の世界遺産

「古都京都の文化財」として世界遺産に1994年に登録されている建物は下記の17件である。西欧諸国の石造建築物と異なり、木造建築でありながら、保存技術とともに1200年もの長期にわたり遺されている。第2次大戦の戦火を免れ、日本独自の文化を守り続けて平安から江戸時代に至る各時代の建築様式や庭園様式、その文化的背景も色濃く残すものとなっている。
          記
上賀茂神社、下鴨神社、東寺、清水寺、延暦寺、仁和寺、平等院、宇治神神社、
高山寺、西芳寺、金閣寺、銀閣寺、天竜寺、龍安寺、本願寺、二条城。

今回、訪れた東寺、銀閣寺、二条城は世界遺産に登録になっているが、東福寺、南禅寺、永観堂、建仁寺などは、いずれも素晴らしい歴史的建造物であるが、登録が認められていないのは残念である。

12月7日(水)晴れたり曇ったり
昨夜、宿泊したホテルの道路の向こう側に二条城がある。朝9時城内に入ると既に修学旅行生が大勢来ている。原発で敬遠された外国人団体客もちらほら来ているのを見ると、朝からホッとした気分になる。ここは紅葉目当ての一般の観光客が多い東福寺と違って、ここは歴史を学ぶ教育的な雰囲気である。1601年の徳川家康の築城から1867年の慶喜の大政奉還まで、城内で起こった歴史的な出来事を思い出しながら、ゆっくりと観て廻ることが出来た。

ファイル:AcueductoSegovia04.JPG
次に烏丸通から地下鉄に乗り、蹴上駅を降りると南禅寺に向かった。「ねじりまんぽ」と呼ばれる隊道抜けると赤レンガ・花崗岩造りのアーチ型の橋脚が木々の間から見えて来た。水路近くの木は下に冷たい水が流れているためか、この辺りの紅葉はまだのようである。この赤レンガの橋脚を見ると、スぺインを旅行したときに見た古代ローマ人が建設したセコビアの水道橋(世界遺産)を想い出した。
テキスト ボックス: 花語らず

花は黙って咲き 黙って散ってゆく
そして再び枝に帰らない
けれども
その一時一処に
この世のすべてを託している
一輪の花の声であり
一枝の花の真である
永遠にほろびぬ生命のよろこびが
悔いなくそこに輝いている
南禅寺  柴山全慶
冬の寒い日の1979年1月、初めて南禅寺を訪ねた時、庭園の片隅に真っ赤な花が咲いた。廊下の壁には老師自筆の「花語らず」の詩が垂れ下がっていたのを想い出す。書院に沿って廊下を進むと南面に枯山水の「方丈庭園」がある。巨石の姿から、俗に「虎の児渡し」と呼ばれている。植木と石組を1ヶ所にあり、白い砂浜が広がっている。

廊下に座り庭園を観賞しながら、お互い「花語らず」の詩を想い出していた。人生の指針として、感銘を受けていたことを再確認出来た今回の南禅寺であった。
柴山老師は明治27年に愛知県一宮生まれ、11歳で得度、45歳の時に結婚され、一子をもうけられる前に、高齢出産のため妻子を同時に亡くす。このような悲しみを経て、老師は自分に対する厳しさと、他人にたいする優しさをもつ。昭和45年8月に80歳で遷化した。

南禅寺から鹿ヶ谷(ししがたに)通りを北へ歩いていくと、東山を背景に永観堂・禅林寺がある。紅葉が境内を染め上げていた景色を眺めながら、永観堂でも、のんびりとしたひとときを過ごす事ができた。道は右に折れ、歩いていくと、多くの哲学者や文人が好んで歩いた散策道「哲学の道」がある。北の銀閣寺まで、約1.5kmの散策道を、疎水(そすい)の流れに沿って道を辿ると銀閣寺である。 
12月8日(木)雨
二人とも昨日一日中歩いたためか、遅い起床となった。朝は雨である。どうしようかと相談したが、雨の京都もいいが、歩くのはしんどいということになり、京都駅でゆっくりした朝食で新幹線の人となった。                  おわり

東福寺と二条城
写真左から
1)東福寺の通天橋の紅葉
2)境内の落ち葉と紅葉
3)二条城に入る外国人団体客と修学旅行生
南禅寺から鹿ヶ谷へ
写真左から
1)赤レンガの水路で青鷺が餌を捜している
2)南禅寺入口の三門の紅葉
3)永観堂の中庭の紅葉
「古都京都の文化財」として世界遺産に1994年に登録
建物17件のうちの1つ、銀閣寺(慈照寺)
写真左から
1)観音殿(銀閣寺)池の前の紅葉
2)波紋を表現した銀沙灘から白砂の向月台を見る
3)高台から眺めた観音殿(銀閣寺)